とまと船

政治経済、ゲーム、ITなど、興味のあることを自分の視点から書いています。

秩序からの解放を目指して秩序に入りこむことについて

とても面白く、考えるきっかけになった記事でしたので、引用させていただきます。

monsieuryoshio.hatenablog.com

右翼と左翼、保守とリベラル。右翼・保守は「社会秩序」に、左翼・リベラルは「個人の尊厳」に重きを置く。そして両者はそれぞれ、脳の特徴に違いがあるというお話でした。

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ちなみに私は、昔やっていたブログの記事に「末期的左翼脳」というタグを付けられたほどの、たぶん左寄りの人間です。

「社会秩序」も大事だと思います。「個人の尊厳」はもっと大事だと思います。極端なケースを考えてみます。「社会秩序」が「死ね」と言ってきたら、可能な限り逃げて「自分の尊厳」を保とうとします。

他称「末期的左翼脳」である私から見ると、「自分の尊厳」を大事にしない人は、一部を除いていないんじゃないかと思っています。自分の尊厳を大事にしない「一部の人」というのはどういう人かというと、「右翼・保守」ではないと考えます。それは、「社会秩序を作る側」にしっかりマインドコントロールされちゃった人たちのことです。一部どころか、多くの現代人かもしれませんね。

多くの現代人は、逆に、私のことを「何かに洗脳されたヤバイ奴」と思うかもしれません。私も、自分が正しいかどうかなんてわかりません。というか、「正しさ」なんてのは、自分の立場や視点によって180度でも360度でも変わったり曲がったりするものだと思います。そんな私が、「ある程度『言えてる』ことなんじゃないか」と思っているのは、「生き物は自分を大事にするもんだ」という話です。

だから、自分と同様、生き物である他人が「自分を大事にする」という権利を認めよう、自分の「自分を大事にする」と他人の「自分を大事にする」がぶつかり合う時は、まあ調整が必要だね、そのために「社会秩序」があるのであって、「社会秩序」のために生き物があるというわけではないんじゃないかな、と思っています。

もっと言うと、「社会秩序の都合で個々人のあり方を変える」というのでなく、「より多くの個々人が生きやすくなるように社会秩序の方を変えていく」というのが、個人的には、政治に求めるところです。

引用させていただいたエントリにある「社会秩序重視」の人々については、「だいたい2種類あるんじゃないかな」と思っています。

  1. 「社会秩序を作る側」の人にマインドコントロールされた人
  2. 「社会秩序を作る側」に入って、自分の諸欲(名誉欲、金銭欲)を満たそうとする人

安倍首相が目立つ例なので、挙げさせていただきます。安倍首相は「社会秩序を作る側」に入って活躍されている方です。活躍の評価は置いておいて、また、傀儡であるかどうかも置いておいて、彼が「社会秩序を作る側」のメンバーであることに異論がある人はあまりいないと思っています。

では、安倍首相は「社会秩序重視」でしょうか?彼自身は、「秩序」と「個人」を天秤にかけたとき、「秩序」を重いとするでしょうか?

違うと思うんですよね。

オリンピック需要で、納期に間に合わせることができなくなり、自らの命を絶った建設業界の若い人は「秩序」に重きを置く人でしょう。

一方、日本行政の第一責任者あった安倍首相は、第一次安倍内閣で、突然総理を辞任しました。「秩序」に重きを置くなら、体調が崩れていても総理大臣を続けるべきではないでしょうか。身に余ると感じたなら、自らの命を云々するという話になるのではないですか。「秩序」に重きを置いた末端の会社員は、そうして命を絶ってしまったんですから。

総理大臣は「日本の秩序」に「死ね」と言われないんですよね。CIAが来たら話は別になると思いますが。大企業の会社役員も、会社の秩序に「死ね」と言われない。

自分のお友達に便宜を図ったり、有力なポストを融通し合ったり、仲間内でお金を回し合ったり。。。いろんな自由が約束されている。楽園みたいなものかもしれません。原資は税金や、平社員の成果だったりするのですが。

「社会秩序を作る側」の太鼓持ちをして、いつかは自分もそのメンバーになって欲望を満たしたい。だから、秩序の側にしっぽを振り、秩序に入り込もうとする。

つまり、「秩序からの解放を目指して秩序に入り込む」ということがあるんだろうなと思いました。

例えばソビエトや中国など、建前は平等を謳っていても、共産党員とそれ以外で格差が生じてしまう。みんな、窮屈な「秩序」を嫌っているのに、それでも「秩序」の方に行く、「共産党員」になろうとする。それは、トップに立って、誰も責める人が居なくなった状態で欲望を満たしたいから。

日本の会社での出世欲も似たようなものじゃないでしょうか。

余程経営者が強くない限り、大企業の役員が責任を取らされることはない。役員報酬が極端に下がることもない。「いつか楽をして、大金を稼いで、安全な場所から下々を見下ろして承認欲求をみたしたいから」出世に熱を上げる。決して、会社の細かい規則や不文律に熱烈賛成しているわけではない。

というのが、実際のところだと思います。

 

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「うつ」と社会と組織の関係

個人的には、「うつ」とは、社会病、組織病だと考えています。

職業に職業病があるように、人間の社会、組織には社会病、組織病があるという考え方です。(先天的な脳の特徴がある人を除きますが)社会的な制約が縛りが一切なければ、肉体的苦痛はあれど、死を選びたくなるほどの精神的苦痛はないはずです。動けなくなったら、ずっと寝ておけばいいので。それを責める常識や、他人もいなければ、病む必要はないのです。

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「うつ」の発生確率は、属する社会や組織が持つ「常識」「ルール(不文律を含む)」などの縛りの数と相関関係があると思っています。調査はしていませんが。

いわゆる「一人前の人間」として、社会や組織から求められる要件が多ければ多いほど、「うつ」になる確率は高くなるでしょう。特に不文律が多い環境は「うつ」の大量製造工場になりえます。不文律とは、その線引きがあいまいです。不文律の数だけ、人は行動のたび、判断のエネルギーを消費し、疲弊します。

  • 入学すれば、良い成績を取って一人前
  • 学校を卒業すれば、就職できて一人前
  • 就職すれば、毎日休まず出勤して一人前
  • 毎日休まず出勤して、最低3年は1つの職場にいて一人前
  • 会社の中では、積極的に飲み会に参加して付き合いを広げて一人前
  • 嫌な上司先輩の過酷なパワハラに耐えて一人前
  • 数年勤めていれば、出世して一人前
  • 出世すれば、高額の仕事を取ってきて一人前
  • ※部長クラスより上に上がれば、逃げ切り

これらは、全部法律にありません。しかし、考え方として、不文律としては日本人の心に染みついていそうです。心当たりがいくつかあるでしょうか?

個人的に苦しんだのは、

  • 男は結婚し、出世して家族を養うもの
  • 男がやたら女に話しかけるのは恥ずかしいもの

というものです。上記2つは社会に押し付けられたものでないのかもしれませんが、いつの間にか自分の脳にこびりついていました。

結婚するには、女性と付き合う必要があり、女性と付き合うには、話しかける必要がありました。しかし、若い学生の頃の自分は、女性にアプローチできませんでした。ダブルバインド、ジレンマに陥って苦しんでいました。

結局、「男がやたら女に話しかけるのは恥ずかしいもの」の方をぶち破り、就活の頃あたりから、女性に連絡先を聞けるようになりました。

紆余曲折あって、今は結婚して1児の父だったりします(エ?コンナヤツガ。。。)。

しかも「養っている」という感じでなく、カナリ立派な奥さんの力を頼みにしています。。

 

話がそれましたが、社会や組織の不文律、「あるべき姿」のハードルが多すぎるんじゃないでしょうか。または、それを真面目に受け取りすぎるんじゃないでしょうか。あるいは、「不文律を律儀に守る」その態度を「自分の個性」と勘違いしてしまって、なかなか脱出できないのではないでしょうか。

 

気楽に生きることでも、人は凄い力を出せると思います。リラックスから最大のパワーがでることもあります。

 

 

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「だれでも健康になる方法」は思いやりの余地を奪うかな?

前々回の記事の最後あたりで自分が書いたこと↓に、自分で疑問をもってしまいました。 

tomatobune12341.hatenablog.com

 個人的には、「人類共通で、だれもが抵抗なく実践できる健康法」が編み出されるといいなあと思っています。今は色んな健康法が、ウサンクサイものや完全な精神論も含めて存在していますが、本当に「効く」ものが生き残って、残りは淘汰されるといいなあと思ったりしています。ややこしいですからね。

話がずれますが、私は個人的に、「貧困は自己責任」と捉えるあり方は冷酷なんじゃないかと思っています。「お前が苦しい立場に陥っているのは、お前の行動や生き方が積もり積もった結果だ。お前が悪い」と。確かにご自身の行動、生き方の結果を背負う形でその人が苦しんでいるかもしれません。しかし、今苦しんでいる人に向かって、「お前が悪いんやで」と吐き捨てることは、吐き捨てた本人にとっても、果たして後味が良いモノなんでしょうかね。病気で動けない人に、言葉で蹴りを入れるようなものではないでしょうか?

たとえ自業自得であっても、「今苦しんでいる人」がいたら、私は、その苦しみをなるべく取り去ってあげたいという気持ちになります(行動するかは別)。私自身が、体の痛みや精神的苦痛に弱いため、痛みや苦しみを他人事として割り切れないところがあります。

本題に戻ります。「人類共通で、だれもが抵抗なく実践できる健康法」が確立された時代になれば、何が起こるでしょうか。そんな時代でも病気で苦しむ人が居たら、「実践する努力を怠った人間」とみなされて、悪口のターゲットになってしまうでしょうか。その時代に生きる多くの人は、死ぬまで病気の苦しみを体験しないから、理解も共感も、何とかしてあげたいという思いやりが生まれる余地もないかもしれません。

同じような理由で、「一億総中流」という集団幻想を抱いていたバブル以前の中流家庭は、「努力(勉強)すればいくらでも成功できる」と信じていて、その裏返しで「成功しないのは努力(勉強)が足りないからだ」と信じてもいたのではないでしょうか。

 

大雑把に言うと、

「お前が苦しんでいるのは、お前が悪いからだ」

「お前が貧しいのは、貧しくなろうとしたからだ」

というようなことを竹中平蔵さんら、大経済学者はおっしゃっているわけです。

竹中平蔵さん、いつも例にだしてすみません。でもあなたや、ユニクロの経営者さんの挙動と発言は典型的なんですよ。

「これこれこうすれば、苦しみや貧困を脱出できるかもしれない」というアドバイスがあれば、「やはり大経済学者は力を持っているなあ」と感動するんですが。「貧困が増えても俺は関係ないし、貧困になる奴が悪いんだよ」と苦しむ人に蹴りを入れるわけです。こういう人が、自らが推進した人材派遣の広範囲化、そのトップ企業「パソナ」の役員に収まって、延々と中間マージンの利益を得ているわけですね。貧困になる若者の労働力を吸って。

 

というわけで、色々書きましたがすみません。「人類共通で、だれもが抵抗なく実践できる健康法」それ自体は、具体性があって愛情が深いですね。

それをベースに、

「お前が苦しいのは、お前が悪いからだ」

と、具体性のないただの悪口を言って、苦しむ人を攻撃するような行為には、思いやりがないと思います。で、人は実際にその苦しみを味わうまで、他人の苦しさを理解しないことがありますから、「健康が当たり前」になってくると「病気になる人」への無理解が広がる可能性もなくはない。といったところです。

しかし、竹中平蔵さんもユニクロの経営者さんも、あれだけトップに昇りつめておいて、たまに発言したかと思えば、一般庶民の悪口ばかり。これは、発言するご本人も不幸せな状態なのかもしれませんね。

 

 

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書籍:自分の「うつ」を治した精神科医の方法 宮島賢也 著 感想#4Final

感想の続き、今回で終わりにします。 

自分の「うつ」を治した精神科医の方法 (KAWADE夢新書)

自分の「うつ」を治した精神科医の方法 (KAWADE夢新書)

 

この本では、うつ病の治療に一番有益なのは、考え方を変え、環境を変えることだと言っているようです。「抗うつ薬」は一時しのぎにすぎないと。

症状が酷いとき「抗うつ薬」によって一時的に楽になるかもしれませんが、やはり副作用もあるため、おススメはできないとのことでした。

さて、その副作用とは?私も飲んでいるSSRIの副作用を引用します。

たとえば、SSRIは、不眠、不安、焦燥感、易刺激性(音、接触など、刺激に敏感になった状態)、衝動性の亢進、躁状態自傷・自殺の念慮が高まることなどの副作用が報告されています。

ワーオ。

この本によると、本来うつ状態とは、「これ以上無理をし続けてはいけない」と、体が発する”警戒警報”だとのこと。薬で警報を無視して、頑張り続けても、破綻を避けられないってことでしょうかね。

だから、環境を変える、人間関係を変える、考え方を見直すということがおススメされています。

最後に、著者の方が個人的に取り入れられた健康法についてご紹介します。

ナチュラル・ハイジーン」という健康法だそうです。

ナチュラル・ハイジーンの紹介

ナチュラル・ハイジーンでは、1日24時間を、次のような3つのサイクルに分けて食事を考えるそうです。

 

午前4:00~12:00  「排泄のサイクル」

午後12:00~20:00 「摂取のサイクル」

午後20:00~4:00  「吸収のサイクル」

 

排泄、吸収、休息の主体は胃や腸などの消化管でしょうね。消化という生理機能は、実は、体内のプロセスの中で、もっともエネルギーを必要とするものだそうです。消化は、運動や仕事で体を動かすよりも多くのエネルギーを消費しているとか。

排泄のサイクルの間は、消化の負担を軽くすることが健康への近道であるそうです。したがって朝食をたくさん食べることは、疲弊と病気への近道だとか、恐ろしい恐ろしい。。。ほんとかな?

 

なので、これを知ったワタクシ、ナチュラル・ハイジーンに則って、朝食はバナナと100%ジュースだけにしていますが、今のところは調子いいです。

あと、コーヒーやお茶によるカフェインの摂取を控え、お菓子を避けてバナナをたべるようにしています。 

 

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書籍:自分の「うつ」を治した精神科医の方法 宮島賢也 著 感想#3

感想の続きです。私的には、ちょっと衝撃的な内容であり、「やっぱりな」という思いもあり。。 

自分の「うつ」を治した精神科医の方法 (KAWADE夢新書)

自分の「うつ」を治した精神科医の方法 (KAWADE夢新書)

 

 親子関係の話はひと段落。今度は精神科医、ひいては医者全般の話になります。

4.精神科医は「心の専門家」ではない

引用:

一般の人は、精神科医のことを「心の専門家」と思っているでしょうが、それは大いなる誤解です。僕はこのことを、「心の専門家幻想」と呼んでいます。

なかには、「精神科医は医者でなくカウンセラーだ」と思っている人もいるようですが、それも認識違いです。 

(略)

精神科医の医師がカウンセリングをおこなうわけではありません。一般的には、精神科医は、患者さんから症状を聞き取り、標準的な診断基準にあてはめて診断をして病気に応じて投薬します。

(略)

医師は、患者さんの症状に加え、仕事や家族関係については聞きます。しかし、うつの原因になっている考え方や人間関係にまでは踏み込みません。

(略)

精神科の病気は、症状によって診断します。症状が該当すれば、「うつ病」「統合失調症」などと診断します。

いっぽうで、精神科では、脳生理学に準拠して、うつ病統合失調症は、脳の機能不全によって起こると考えています。「心の変化は脳の変化」という考え方に立っています。

(略)

心や感情が安定している状態では、それぞれの神経細胞からそれぞれの神経伝達物質が、よく分泌されています。ところが、これらのバランスが崩れると、心や感情、情動に変化が起こります。やたらと怒りっぽくなったり、イライラしたり、覇気ややる気がなくなったり、悲しみに沈んだり、不安に取りつかれたりします。

うつ病の治療薬は、これら脳内物質の生理学に立って開発されたもので、神経伝達物質のバランスを整えるのを目的にしています。

精神科では「セロトニンの異常がうつを引き起こす」との診方(みかた)に立っていますが、それはあくまで仮説です。僕は、セロトニンの異常もストレスの結果ではないかと考えます。

 長い引用すみません。

要するに、精神科は、「対症療法」をしているのであって、根本治療のことを考えていないということなんですね。「ひとまず症状は抑えますが、根治はあなたの責任でやってください」ということです。

私個人は、このやり方で、ある意味助かりました。だって、「考え方を直せ」って他人から言われてやる気になるもんでもないし、かえって窮屈じゃないですか。ブラックな企業組織やブラックな職場があり、そこですり減って倒れたときに必要なのは「休息」であって、「精神論」「原因追及」でないわけです。

本当は、倒れるまで行かないうちに方向転換するのが望ましいのですが、根性論家庭で育った人間には、それもなかなか難しいんですよ。じゃなきゃ、電通で新入社員の方が自ら死を選んだり、建設会社でオリンピック需要のノルマに圧迫された若手社員が自ら亡くなったりしないわけです。

「転がる石に苔は付かない」「石の上にも三年」。同じ場所で耐えることを美徳とするようなマインドに染まっていたら、「逃げる自分」を許容できない。

でもね、生死にかかわるくらいジレンマが激しければ、そりゃ逃げた方がいいんですよ。そんなことを教えたり、それとなく示唆したりもできない、未熟な大人が多かったのです。

長くなりました。続いて、話は医者一般に及びます。

5.医師は健康や病気予防のプロではない

引用:

一般論ですが、医者は健康についての知識を持っていません。

こう断言すると、一般の方たちは怪訝(けげん)におもうのではないでしょうか。

「お医者さんって、健康についてのプロじゃないの?」と。

本当は、それをいうなら、「医者は対症療法のプロ」なのです。

いっぽうで、現在では、医療界を挙げて「病気になって治療するよりも、ならないように予防することが大切」とも訴えています。ここには矛盾があるし、どうしてなのだろうかと、一般の人は疑問に思うでしょう。

なるほど、「病気になって治療するよりも、病気にならないように予防することのほうが大事」といわれれば、それはそのとおりでしょう。誰もが理解できることです。

わが国では、昭和40年代から、心筋梗塞脳梗塞、糖尿病など、いわゆる生活習慣病が増加してきました。それによって医療費がふくらみ、それを抑制するためにも、予防の重要性が訴えられてきました。

メタボリックシンドロームの話。略)

このような流れに立つと、「医師や病院は病気の予防に力を注いでいる」「医師は健康についての知識をもっている」ように思えます。

しかし、じっさいはそうではありません。それは現在の医療行政、医療の在り方がそれを目的としたものにはなっていないからです。

簡単にいうと、病気の予防について、医師がいくら時間をさいて患者さんに教えたとしても、診療報酬にはなりません。けっきょくは、診察や検査をしないと、診療報酬が得られないシステムになっています。

もっとわかりやすくいえば、診察や検査をしないと、病院や医師が儲からない仕組みになっているのです。

だから「予防が大事」という言葉には欺瞞(ぎまん)があります。しかも、というか、だからというべきでしょうか。一般論としてですが、現実は、病気予防や健康増進について勉強や研究をしようとする医師はあまりいません。

また長くなってすみません。かなり大事なことだと思ったので、長く引用させていただきました。

「多くの医師は、病気のプロであり研究家であっても、健康について知らない」ということですね。衛生が整った現代の我々一般人にとって重要な情報は、「どうやって病気を防ぐか」だと思います。病気になってしまえば、医師の領域になりますが、「病気にならない知恵」に人類共通のものがあれば、それを日々採用し、健康に暮らすのが何よりです。

個人的には、「人類共通で、だれもが抵抗なく実践できる健康法」が編み出されるといいなあと思っています。今は色んな健康法が、ウサンクサイものや完全な精神論も含めて存在していますが、本当に「効く」ものが生き残って、残りは淘汰されるといいなあと思ったりしています。ややこしいですからね。

 

 

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書籍:自分の「うつ」を治した精神科医の方法 宮島賢也 著 感想#2

感想の続きです。 

自分の「うつ」を治した精神科医の方法 (KAWADE夢新書)

自分の「うつ」を治した精神科医の方法 (KAWADE夢新書)

 

前回、親子関係とうつの話に触れました。書きながら、バブル崩壊前あたりの中流家庭の親子関係は「うつの 製造工場」だったんじゃないかと思うようになりました。

個人的な話をしますと、子供の頃、近所に凄いいじわるで嫌な同級生が住んでいました。同じ団地です。私はそいつを家に招いたとき、大事にしていたビックリマンシール(古い?)を根こそぎ盗まれたことがあったんですね。

で、なんで「盗まれた」と分かったかという話。そいつが帰ったあとに、ビックリマンシールを眺めて喜びに浸ろうと思って探したところ、無くなっていました。そいつの家を訪ねて、「ビックリマンシール、間違えて持って帰ってない?」と尋ねたら、そいつの母親が「泥棒したっていうの?!そんなわけないでしょ!失礼なことを言うね!帰って」みたいに、すごい剣幕で怒ったので、渋々引き返しました。

2、3日して、自分の母親経由でビックリマンシールが返って来たんですね。話を聞くと、やっぱり奴が盗んでいて、それが奴の母親にばれたみたいです。そのとき、私は安心しましたが。

話が相当脇道に逸れたんですが、つまり、そのイジワリストは「ばれなきゃ反社会的行為をやってかまわん」という性根の持ち主だったと思います。で、この性根を持ったイジワリストの親子関係について漏れ聞こえた内容ですが、毎週日曜日、父親が付きっきりで長時間のスパルタ勉強をさせてたと。できなければ凄い怒られるらしいです。

うわ~地獄。と思いました。こんな家庭で育ったら性格歪むんじゃないかと。まあ歪んでいたわけですが、生まれつきか環境かというと、環境の可能性も否定できないレベルですよね。

今思うとひどい家庭なんですが、よくよく考えてみたら、当時は戸塚ヨットスクールのスパルタで人が死んだり、スパルタ勉強塾みたいな、鞭をもった反グレみたいな先生が恫喝して教える塾がテレビでもてはやされたりしていました。ある意味とんでもない時代です。スポーツ根性全盛期で、

人は厳しくしばけばしばくほどに強く鍛えられる。麦だって踏まれて強くなるんだから。

みたいなのが社会常識みたいになっていましたね。そうやってしばき潰しておいて、「こいつは根性が足らん」みたいなことを言っていました。大人が。

しかし、そういう論調も、バブル崩壊から長~く長~く続く景気の悪さ、日本経済そのものと一緒に縮小してきたと思います。やったね!

ところで本題です。

 

3.自分で自分を認めてあげられる人は、大丈夫

引用:

患者さんの中には、相手、つまり上司や同僚、パートナーなどに認めてほしいと思っている人も居ます。しかし、相手には相手の考えがあり、こちらが思うようには認めてくれないこともあるでしょう。

人が人を認めるとは、どういうことなのでしょうか。

それは、「あるがままの存在を認める」ということです。

前述しましたが、私の母は、学校の勉強ができる僕を認めてくれましたが、できない僕を認めてはくれませんでした。成績が良ければ認めて、悪ければ認めないというのなら、それは条件付きの愛です。

成績が悪かろうと、ほかの子供ができることができなかろうと、一人の尊厳ある人間として、また、自分の子供として認める。親がそのような観念をもって接すると、子供は、自然に自分が認められていると感じ、自分で自分を認められるようになります。

こうありますが、子ども時代の育ち方を云々したって「今どうするか」で悩む人には役に立たないということがあります。個人的には、親元を離れるのも一つの治療だと思っています。一つの大きな賭けでもありますが。

もし、根性論を持つ親元に居て、窮屈な思いをされているのなら、そこを飛び出して一人暮らしをするのもいいかもしれません。親というのは偏った思考を持っているもので、根性論の親は、外面が良くても、家庭内でその思考を子供に積極的に伝えようとします。環境を変えるのは賭けですが、

「ああ、案外自分の存在って許されるんだな。アリなんだな」

という実感と、幾つかの成功体験を得ることができれば、人は幾つかのマインドコントロールを脱することができると思います。

 

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書籍:自分の「うつ」を治した精神科医の方法 宮島賢也 著 感想#1

私うつで休職経験があるんですよ。

で、うつの話には興味ありました。本屋さんで目に付いたので、この本↓を買いました。

自分の「うつ」を治した精神科医の方法 (KAWADE夢新書)

自分の「うつ」を治した精神科医の方法 (KAWADE夢新書)

 

読んで心に残った点をピックアップして、感想を添えていきます。

1.親子関係が、うつの根本にある

 引用:

うつ病を引き起こす最大の原因は、「親子の関係」にあります。ここがその原点といってもいいでしょう。

「どういう親であるか」、そして「親にどういう育て方をされたか」によって、うつ病になりやすい人が作り出されます。

自分を例に挙げて説明します。僕は、1973(昭和48)年に生まれました。父は大企業のサラリーマンでした。母は有名な女子大を出て、高校の教師をしていましたが、結婚をきっかけに辞め、自宅で英語の塾を開いていました。はっきりしたことはわかりませんが、ふたりは恋愛結婚のようでした。

物心ついてからの記憶では、父と母が仲良くしているのを見たことがありません。父母はケンカをよくしていました。

(略)

 その後、父は仕事一辺倒になり、父と母は直接向き合うことが少なくなり、ケンカも減りました。おそらく、仮面夫婦のような関係になったのでしょう。そして、家庭内では次第に「母と僕が向き合う構図」へと変わっていきました。

(略)

母にとっては「学歴」が、人を評価する基準でした。一流の学校を出た人じゃないと認めません。職業も、大企業のエリート社員とか医師、弁護士など、社会的ステイタスがあるものしか認めません。母は、そういう偏った固定観念にしばられている人でした。

 引用がながくなってしまいました。

これ、個人的には、戦後の高度経済成長からバブルがはじけるまでの一般的な中流家庭の風景だと思います。スポーツ根性論、ジャパンアズナンバーワン、朝鮮戦争ベトナム戦争特需に浮かれて、努力すればいくらでも上に上がれる、やればやるほど給料がでる。

そんな訳なかったというのが、1990年代バブル崩壊~2008年リーマンショック~現代まで延々と続く日本の経済縮小ですわ。バブルが平常でなく、いまの縮小状態が日本の実力。

こういう根性論系中流家庭に生まれた素直な子供が、2000年以降の現代、一斉にうつ病になっていると考えています。鈍い子供や、生まれついてのキカン坊なんかが、親の影響を跳ね除けて元気に生きてる状態だと思います。

2.親のダメ出しが「自己否定感の強い子」をつくる

引用:

うつ病になる人は、特有の考え方をする傾向が顕著ですが、その考え方は、親によってつくられます。"刷り込まれる"といったほうが適切でしょう。

特有のこととして、否定的な考え方をします。

具体的には、

「自分は生きている価値がない。いてもいなくても、どうでもいい存在である」

など、自分を価値のない存在とみなします。

では、どうして自己否定の考え方がつくられるのでしょうか。

僕の場合を例に挙げると、母は「いい成績」「いい学歴」「いい地位」にしか価値を認めない人でした。母は僕に、そうなるように求め、強要しつづけましたが、僕はその望みに沿う自信はありませんでした。

自身はなかったけれど、医学部に合格できました。では、自分に自信がもてるようになったかというと、そうはならなかったのですから、皮肉なものです。

(略)

だから、医師としてやっていくことに自信がもてない自分を、「ダメなヤツだ」と自分で否定してしまいます。また、勉学に励んでいないと、深い罪悪感にとらわれるのです。

そして、そのマイナスの思いは、「生きている価値がない」という、さらなる自己否定へとふくらんでいくのです。

うつの患者さんたちを問診してもわかりますが、みなさん同じように、「自己否定の観念のとりこ」になっています。

「自己否定の観念のとりこ」とあります。私の場合は、「何もしない自分には価値がない」という諦めがベースにある/あった、といった方が近い気がします。

実は、多くの人も同じように、次の観念に縛られているのではないでしょうか?

 

①自分に価値を付け、それを分かってもらえないと、お金を得られない。

②お金を得られないと、生活できない。

③生活できないと、死ぬ、すなわち生きる価値がない。

④お金になる価値を生み出せない人間には価値がない。

 

 私の中にも、いまだ「④お金になる価値を生み出せない人間には価値がない。」がほんの少し、こびりついていますが、実はこれ、自分を苦しくするだけの考えじゃないかと思うようになっています。

だって、お金が稼げなくなった途端、自分に「死刑」を言い渡すなんて、誰のために生きてるんですか?

自分以外の他人に迷惑を掛けないためだけに生きてるんですか?そんなのおかしいよ!なんで楽しもうとしないのか!

 

マインドコントロールなんですよ。日本社会全体にはびこる、そして、親教師学校を通じて植え付けられる、胸糞の悪い毒薬なんです。

 

だって、自分で自分に死を命じるんですよ?毒薬でなくてなんなのでしょうか?

 

こういう社会は変わらなきゃならんと思っています。こうして、小さな場でも叫び続けていきます。

感想はまだ続きます。

 

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