とまと船

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自殺を防ぐには:何かをやって、「その先を見る」ことを目指す生き方のススメ

 自殺を選ぶ必要がない世の中、社会に変わって欲しいものだ。

 

最近、特に学生や児童など、若い人の自殺ニュースを目にする。

なぜ自殺を選ぶのか。

それは、「何か具体的なものを目指す生き方」を選んでいるからであり、

そう勧める社会だからではないだろうか。

 

例えば、「志望校への合格を目指して生きる」なら、

合格できなかったことが、生きる理由の喪失につながる。

また、「周囲に好かれること/嫌われないことを目指して生きる」なら、

周囲から嫌われることが、生きる理由の喪失につながる。

 

とくにSNSをやる若い人たちは、周囲の反応に敏感ならざるを得ない一方で、

口では言えない/言う機会のない、自分の本心を吐露することを渇望する。

 

ジレンマに陥りながら、思い切って吐露した本心に酷評をもらうようなら、

「周囲に嫌われないことを目指して生きる」若い人は、相当のショックを受ける。

 


 

「夢に日付を」じゃないけど、具体的な期限と目標を宣言して、

それを達成してしまう人間を社会が賛美しすぎるのも考えものだ。

 

業務でも、プロジェクトが進めばたいてい、考慮の漏れや想定外事象にぶち当たる。

それでも「当初の期限と目標」に頑なにこだわると、却って大きな落とし穴に

はまりやすくなる。

 

「途中で重大な欠陥が見つかったけど、目標も納期もあるし、隠そう!」

 

という心理が生まれやすくなる。

 

欠陥が運よく見つからないうちは、トップが「目標達成」の美酒を味わうことだろう。

しかし、トップが交代して幾年か経ち、ある時それが発覚すれば、

後の世代への負の遺産となってしまう。

 

私は、東電原子力発電所の問題も、東芝粉飾決算の問題も、

根っこの原因には上記のような「当初の期限と目標」への異常なこだわりが

あると見ている。

 

業務のプロジェクトが進めば、色々な情報が入って、我々は賢くなる。

賢くなった結果、今より幾らか愚かだった頃に考えた「当初の期限と目標」が

無茶なものと判明することもある。

 

だから、人生というのは(大きく出てみたが)、色々な意味で、

昔の目標のとおりにはいかないのが普通なのだ。

過去の宣言には見直しが必要になる。

それは「成長する」ということでもある。

 

だからこそ、本節冒頭の言を再び提示する。

 

具体的な期限と目標を設定して、それを達成してしまう人間を賛美しすぎるのも、考えものだ。

 


 

 代わりに、若い人に何を勧めようか。

 

そうだ、とにかく何かをやってみて、その先を見てみるのを目指してはどうか。

ものすごく大きな枠組みの中では、結果には善や悪などはない。

 

「これをやったらどうなるか?」と考えて、

とりあえずやってみる。そして、結果を楽しみにするといい。

 

一般論がどれだけ頼りにならないか分かることだろう。

ひとまず、大人の言うことを聞かないで、思ったようにやってみるとどうだろう?

目標は、「結果そのもの」でなく、「それを見ること」だ。