とまと船

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多数派に見せかけること・考

 

 

前回の記事で、「Twitterで全く同じ内容を呟く複数アカウント」について触れました。今回は、それを受けて「多数派に見せかけること」について考えてみようと思います。

  

tomatobune12341.hatenablog.com

 

「多数派」は力であり、信用であり、権威であり、常識を作る

極端ですが、例えば社会の99.999%の人が従うルールに従いたくない個人もいるでしょう。「そんなに多くの人が従うルールが現実にあるのか?」と思われるかもしれませんが、例えば「貨幣制度(お金)」がそれに当たると私は思っています。

違法な取引や銀行強盗などがあるように、法を無視するような世の犯罪者でさえも、「貨幣制度」には従っています。それは、小さな金属の塊である硬貨や、紙の切れ端である紙幣が、「ほとんどあらゆるモノと交換されるに値する」という幻想を、社会の99.999%の人が共通して抱いているからです。

このように貨幣制度は、歴史の中に滑り込み、人類の大多数に信用され、あらゆるモノゴトの取引を円滑に進める力を得ました。お金自体に善や悪の性質はありませんが、お金によって多くの人に役立つ事業が興ることもある一方で、お金のために兵器の開発や横流し、人の拘束や殺害が起こることもあります。

「いや、自分は決して悪事にお金を使うまい」と心に決めていても、自分以外の他者が「お金のために悪事を為すという可能性」を排除しきれません。お金は罪のない一般人を動かしますが、犯罪者もまた、動かすものですから。

 

社会の中で、個人は「多数派」に抗いにくい

「貨幣制度」という極端な例を挙げましたが、それほど多数派には力があるのです。「貨幣制度」であれば、「貨幣制度に反対だから、一切お金と関わらない。使いもしないし貰いもしない」という生き方が、人間社会では、ほぼ不可能であるほどに。「法律」であれば、「法律に反対だから、一切従わない。夏場、道路の真ん中で、裸でごろ寝してやる」という自由が、警察権力によって拘束されるほどに。

「貨幣制度」や「法律」ほどではありませんが、テレビや新聞、インターネットに上がる多くの言論も、多数派を形作る素にはなります。テレビや新聞であれば、有名で権威も持っている専門家が、ある一つの意見を述べ、それをサポートするデータを示せば、専門外の読者は「そのとおりなのだろう」と思ってしまいがちです。また、専門外の人であっても、多くの一般人の人気を集めているタレントなどが、ある特定の意見・人物に共感を示し、別の意見・人物を非難するなら、そのファンである一般人にも影響を及ぼすでしょう。少し前では、アメリカ大統領選でハリウッドスターが一斉に「ヒラリー氏」を支持し「トランプ現大統領」を非難したことも、スポンサーの狙いがあったのかもしれません。もちろん、たまたま一致しただけかもしれません。

テレビ、新聞と異なり、匿名のインターネット掲示板やSNSなどには、書き込み主の「有名さ」や「権威」が効果を発揮しません。代わりに、

 

「どれだけ多くのアカウント(書き込み主)に支持されている意見か」

 

が、疑似的にですが、世論や多数派のようなものを形成しているのを目にします。似た意見が多いところでは、異なる意見に対するバッシングや誹謗中傷が起こります。特に、政治系のコンテンツではこの現象が顕著です。

一方の意見のみが幅を利かせ、ほかの意見には強烈なバッシングが浴びせられるような場では、少数派の意見を持つ人はそこを立ち去ります。たまたま立ち寄った「特に意見を持っていない人」には、多数派の意見が「常識」に見えることもあるでしょう。その場で生活したいのであれば多数派に染まった方が楽なわけです。

 

ところで匿名のインターネットの世界では、

 

「一人の人間が一つだけのアカウントを持っている」とは限りません。

 

素人でも一つのメールアドレスから複数のアカウントを取得できますし、IDを変えるためのツールもあります。

 

「沢山寄せられている似たような意見、同質の意見が、

 実際に同一人物による書き込みだった」

 

というケースもあります。つまり、

 

少数派でありながら、場の言論を操作したいがために、多数派に見せかけている

 

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ということです。それが実際に起こっている痕跡が見られるのが、一つ前の記事で紹介したケースです。

 

上記の手法では、様々な場所に居る多くの人間を騙すのは難しいかも知れませんが、限られたコミュニティに居続ける少数の人々であれば騙せるかもしれません。

元々少数のコミュニティであるゆえに多数派を演じやすく、他のコミュニティを知らせなければ生活の大半に影響することができるからです。

 

これは、カルト教団による洗脳や、少数の企業などで行われているマインドコントロールに近い手法とも言えるかもしれません。

 

この手法を、ここでは仮に「多数派工作」と呼びましょうか。

 

「多数派工作」は短期的には大きなリターン、長期的には信用を失う

多数派工作は、テレビコマーシャルや駅のポスターなどのように、

 

「一瞬だけ見て、印象を受けて過ぎ去る」

 

性質に近いものと思っています。

あまり深い検証をされないうちは、確かに短期的に大きな影響を与えることができるでしょう。しかし、続けていくうち、特にだます対象の規模が大きくなると、どうしても「粗(アラ)」が出てきます。

一つ前の記事でも、「(おそらく一人の人間が)複数アカウントで全く同じ内容を呟く」という、分かりやすい手抜きが見えました。

 

あまりに多くの人が、特定の意見だけを支持するのを見ていると不自然に感じるものです。多様性がなさすぎて「気持ち悪い」と思うようになります。

この、「何か気持ち悪いぞ」という直感は、案外自分を助けてくれるものかもしれません。直感を基に検証を始める人が多くなれば、「多数派工作」は隠しきれなくなって自滅します。そうなれば、工作をしていた人たちは、自分たちの「大ウソ」がばれてしまい、信用を失ってしまうことでしょう。